https://www.tokyo-np.co.jp/article/360677
2024年10月17日 12時00分
11日に74歳で亡くなった弁護士の大谷恭子さん。この国の犯罪史に残る数々の著名事件の弁護を担当した一方、人生の最晩年に最も情熱を注いだ活動が若い女性たちの支援だった。引き継ぐべき大谷さんの遺志とは—。 (木原育子)
◆「『居場所がない』ことのない社会にしたい」
「困ってることない? 何かあったらすぐ連絡して」。2020年8月、東京・秋葉原。客待ちで路上に立つ若い女性たちに大谷さんが声をかけていく。女性たちの正面に立って語りかける姿が「私は逃げない」と伝えているかのよう。
同年春のコロナ禍真っただ中、傷ついた若い女性を支援する若草プロジェクトの一環で、秋葉原近くに「まちなか保健室」を設立した。大谷さんは当時、「こちら特報部」の取材に「逃げ場所を間違えると簡単に暗部に足を踏み入れてしまうのが今の社会。『居場所がない』ことのない社会にしたい」と語っていた。
プロジェクトは瀬戸内寂聴さん(故人)と元厚生労働省次官の村木厚子さんが呼びかけ人代表に名を連ねた。当初、一緒に活動したNPO法人「BONDプロジェクト」の橘ジュン代表は「現場感覚にすごく近くて目の前の女の子のことを一番に考えてくれた。本当に寂しい」としのんだ。
全国女性自立支援施設等連絡協議会の横田千代子会長(81)も「いつも先頭に立ち、必要な場所にいて必要な支援を届けてくれた。大谷さんのおかげで救われた人は多い」と語る。
◆駆け出し時代に関わった事件が、その後の人生を決めた
大谷さんは東京・十条育ち。1974年に早稲田大を卒業後、弁護士に。交際していた人が大学紛争の中で逮捕されたことが弁護士を志したきっかけだった。
(略)
※全文はソースで。
※関連スレ
【訃報】弁護士の大谷恭子さん死去、74歳…永山則夫・元死刑囚や重信房子・元「日本赤軍」最高幹部ら弁護 [香味焙煎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1729069248/
引用元: ・私は逃げない 人権派弁護士・大谷恭子さんが最晩年に情熱を注いだのは、居場所のない若い女性を支える活動だった [少考さん★]
訴訟で7連敗したくせにこれ以上何やるつもりなんだよ?
コメント